9月の第3月曜日は敬老の日ですね!
9月って大型連休が自然とできるので、大人も子供もワクワクしてしまう月ですよね♪
大型連休(シルバーウィーク)については、こちらでチェック出来ます^^
でもよくよく考えてみると敬老の日ってなんでしょうか?
高齢者を敬う日?
今回はそもそも敬老の日がどういう日なのかということをご紹介します!
ちょっとした雑学が増えますね♪
それでは早速、敬老の日の由来から見ていきましょう!
開くと目次へ
敬老の日と言う名前になった経緯は?
はじめに、老人の日と敬老の日についての違いを見てみましょう♪
- 老人の日・・9月15日(老人福祉法により)
- 老人週間・・9月15日を含む1週間
- 敬老の日・・9月第3月曜日(2001年のハッピーマンデー制度の実施から)
敬老の日が国民の祝日になりますね。
では、敬老の日ができた経緯からご紹介しましょうヾ(o´∀`o)ノ
敬老の日が制定されたのは1965年だそうです。
今年で50年目になる祝日なのですね!
50年といっても、「敬老の日」と言う名前の休日となってから50年目を迎えたというだけで、実は敬老の日の前にも「高齢者を敬う日」というのは存在していました。
敬老の日の前身は「としよりの日」という名称で、1951年に中央福祉協議会が定めました。
では、としよりの日が誕生した経緯についてもご紹介しますね。
としよりの日は、現在の兵庫県多可町八千代区に野間谷村という村があり、当時の村長であった門脇政夫氏によって1947年に提唱されたのがはじまりでした。
「老人を敬い大切にし、知恵を借りて村づくりをしていこう!」というコンセプトのもと、この「としよりの日」を助役であった山本明氏と共に提唱したのでした。
野間谷村では、1年で一番気候の良い9月の中旬である15日に敬老会を開催するようになり、この動きは3年後に兵庫県全域で見られるようになりました。
そして同年に9月15日は、としよりの日にしようという県民運動も勃発o(^-^)o
翌年になると更に全国へと広がりを見せたのでした。
そうして1951年に中央社会福祉協議会によって「としよりの日」が制定されたのです。
高齢者を敬い大事にするという日であることは変わりないのですが、どうもこの「としよりの日」という名称が当時各地で問題となったようです(´・ω・`;)
議論の末、1963年に老人福祉法の制定に伴い「老人の日」に改正されましたが、こちらも語呂の悪さなどが議論され、1965年に現在の「敬老の日」という名称で落ち着きました。
敬老の日の名称が現在のものに落ち着くまで、14年の年月がかかったなんてビックリですね!
しばらくは9月15日が敬老の日でしたが、2001年にハッピーマンデー制度の実施に伴い、敬老の日は9月第3月曜日へと変更することになりました。
また、この年には提唱者が存命だったため、多くの高齢者から反発が相次ぎました。
そこで老人福祉法が9月15日は老人の日、9月15日を含む1週間は老人週間と改正されたそうです
ここまでが敬老の日ができた経緯となります。
続いて、敬老の日の由来についてご紹介しましょう。
「敬老の日」の由来には2つの説があることをご存知ですか?
それは「聖徳太子の悲田院」説と「養老の滝」説です。
(※両方とも俗説であって正しい物かどうかは定かではありません。)
まずは、こちらの説をご紹介しましょう!
■聖徳太子の悲田院説
皆さんもご存じの聖徳太子は593年、大阪に四天王寺を建設しました。
その際に四箇院の制を制定したそうです。
四箇院は
- 敬田院(けいでんいん。仏法の修行場。寺院のこと。)
- 施薬院(せやくいん。現在でいう薬局の役割。)
- 療病院(りょうびょういん。現在でいう病院の役割。)
- 非田院(ひでんいん。孤児院や老人ホームの役割。)
の4つの施設を指します。
この悲田院は、身寄りのないお年寄りや子供を保護する施設で、現在でいうところの老人ホームの役割を果たしていました。
この悲田院の建立日が9月15日だったのです。
このことに因み、9月15日が敬老の日に選定されたと言われています。
これが聖徳太子の悲田院説です。
■養老の滝説
養老の滝という昔話を知っている人も多いのではないでしょうか。
まんが日本昔話でも、テーマとして取り扱われたこのお話が、敬老の日の由来となっていると考えられているそうです。
養老の滝のストーリーについて簡潔にご紹介しましょう!
昔々、美濃国(みのの国。現在の岐阜県養老町)に父親とその息子が住んでおりました。
父親は体が弱っており、息子は父に代わって良く働く良い息子でした。
父親は身体が動きませんでしたが、毎晩に少しだけ飲むお酒を大変楽しみにしており、息子もそれに対しよく理解していましたので、父親が喜ぶようにと一生懸命働いてはお酒を買ってきてあげたのでした。
ですが、いつも買えるというわけではなく、たまたまお酒を買えない日が続いた時がありました。
くたびれた息子が滝の近くで休んでいる時、こんなことを考えていました。
「今日もお酒が買えそうにない。この滝がお酒だったらいいのになぁ。お父さんきっと喜ぶだろうになぁ。」
よほど疲れていたのか息子がふら~っと歩くと、うっかり苔で滑ってしまい気を失いました。
息子が気を取り戻したのは夜になってから。
ふと、滝の方から甘い匂いがしてくるのに気が付きました。
「なんだろう?」近くまでよると、泉が滾々と湧き出している事に気が付きました。
どうやらそこから甘い香りがしているようです。
「この匂いは・・」と息子がなめてみると、なんとそれは美味しいお酒なのでした。
息子はそのお酒を持って帰り、父親に飲ませた所、「美味しい!」と大変喜んだのでした。
息子が毎日そのお酒を持って帰り飲ませた所、不思議なことが起こりました。
目がほとんど見えなかった父親の目が見えるようになり、弱かった足腰がしっかりとしてきて歩けるようになったのです。
このことが村中に伝わり、人々はそのお酒を求めるようになり、ついに村には病人がいなくなりました。
このことを耳にした帝が家臣を連れて確かめにやってきました。
泉の水を飲んで「まさしく酒だ。これは神様の思し召し。お前の親孝行の気持ちが天に届いたのだろう。この地を養老と名付け、この土地を息子が治めよ」と息子に言いました。
息子は養老の地を治めることとなり、帝は年号を養老と改めました。(717年~724年)
この帝が養老の土地を訪れたのが717年9月中旬だったそうで、そのことに因んで9月15日を敬老の日としたそうです。
ちなみにこの泉は菊水泉という名の泉で、養老郡養老町養老公園に存在しています。
皆さんは聖徳太子の悲田院説と、養老の滝説、どちらを信じますか?(^^)
敬老の日って誰が誰を祝うの?
内閣府ホームページの国民の休日によると、敬老の日は「多年にわたり社会に尽くしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う。」日だそうです。
この老人っていう部分が難しいですよね。
一体何歳からが老人で、誰が誰に祝うのでしょうか?
実は老人の定義については老人福祉法で「65歳から」と定義されているそうです∑d(・ω・*)
高齢者という言葉は65歳から使用してもいいということになりそうですね。
ですが65歳という年齢が「老人」かどうかは個人によって認識が異なるようです(o-´ω`-)ウムウム
65歳はまだまだ老人でない!と思っている方は、敬老の日にお祝いされても複雑な気持ちになってしまいそうですよね。
ますます誰が誰にお祝いしていいのかがわからなくなってしまいそうです。。(A;´・ω・)フキフキ
ちょっと難しい敬老の日のお祝いですが、多くは孫が生まれてからというのが一番多いようです。
本来の意味合いとは異なってきますが、孫が祖父母に感謝を伝える日としてお祝いする人が多いそうですね。
また、多くの人もこういった意味合いで敬老の日を認識しているでしょう。
特に、普段はなかなか会うことのできない祖父母と孫だったら尚更ですね。
年に一度の敬老の日には、感謝の気持ちで一緒に過ごせると良いですね(*^ー゚)v ブイ♪
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まとめ
いかがでしたか?
敬老の日にこんな経緯があったなんて!と驚かれる人も多いのではないでしょうか?
敬老の日が誕生したときと、現在の敬老の日の意味合いは若干異なってきてはいるものの、高齢者に感謝をして敬おうという気持ちはいつだって変らない物。
今年の敬老の日は、おじいちゃんおばあちゃんに会いに行ってみてはいかがでしょうか(^^)
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