京都の有名なお祭り、「葵祭」をご存知の方は沢山いることと思います。
斎王代(さいおうだい)がお祭りの主役となったのは、昭和31年頃からと言われています。
2019年の斎王代は負野李花(おうのりか)さんという上品な方に決まりました。
出典:SankeiNews
笑顔が素敵ですね。
葵祭自体の歴史は、平安時代からと言われているので、斎王代が主役とされるようになったのは割と近年のようです。
斎王代はお祭りの華ともいえる存在ですが、一体どのような決め方があるのでしょうか?
今回は平安より現代に伝わる京都のお祭り、葵祭の主役「斎王代」についてご紹介します。
毎年、どんな方が「斎王代」になっているかを一緒に見てみましょう♪
斎王代は、歴代どんな人がなってる?
女人列の中心となる十二単をまとった斎王代。
現代では斎王はおりませんので、京都の一般女性から選ばれます。
一体どのような人物がなるのでしょうか?
抽選?推薦?立候補?ミス京都的な人?
色々想像してしまいますよね。
実は斎王代は一般公募されておらず、京都ゆかりの神社やお寺や、文化人や実業家のご令嬢から選ばれているそうです。
いわゆる地元名士のご令嬢の中からってことですね。
なかでも20代くらいの女性の中から選ばれているそうです。
なぜ限定された中から選ばれるのでしょうか?
それには次のような理由があります。
斎王代になるには?
実は斎王代になるには、かなり高額な費用が必要となる、という説があるそうです。
葵祭の路頭の儀、つまり行列では数千万円の費用が必要と言われているそうです。
これにクリーニング代がかかると、とんでもない額に達するそうです。
す、数千万…これは一般のご家庭では気軽に参加はできない額ですねヾ(・_・;)
そういった経済的な力のある家柄の御嬢さんが選ばれるわけには、京都らしい理由があります。
他の都道府県と異なり、京都はお祭りにかかる費用の大部分は参加者が負担するという仕組みのようなのです。
莫大な費用のかかる葵祭では、こうした理由から資産家のお嬢さんが選ばれているそうです。
更に、京都のお祭りですので、京都にゆかりのある女性しかなる事が出来ません。
京都にゆかりのある資産家の女性…かなり限定されていますね。
斎王代とは?
斎王とはどんな人物なのかというと、「いつきのひめみこ」とも呼ばれている女性です。
斎王の「斎」は潔斎(けっさい)して神に仕えるものを意味しているそうです。
つまり巫女さんです。
※ちなみに潔斎とは神事等の前に、お酒やお肉の飲食を慎み、沐浴などをして心と体を清めることを意味しています。
斎王は、伊勢神宮や賀茂の神社に奉仕をしていた未婚の内新王(女王)のことなのです。
平安時代に国のお祭りとされていた葵祭(当時は賀茂祭と呼ばれていました)に、賀茂の宮には斎王がおり葵祭に奉仕していたそうです。
斎王が住まわれているところを、斎王の名前から「斎院」と呼び、現在の京都市上京区鷹山寺通大宮の西北部に存在したといわれているそうで、葵祭の際には一条大宮で勅使の行列と合流をしたそうです。
当時より人々はこの華やかな斎王と行列を見ようと集まったそうです。
↓ 葵祭についてはこちらをご参照下さい。
京都葵祭2016!日程や有料観覧席についてのまとめ!
斎王のはじまりとお仕事内容
この斎王は810年の春、嵯峨天皇によって嵯峨天皇の第8皇女にあたる娘、有智子(うちこ)内新王を斎王にしたことが始まりと言われております。
これがなかなか大変なお勤めで、初斎院と呼ばれる所で毎月朔日(ついたち)に、2年間賀茂の大社に向かって遥拝(遠く隔たった所から拝むこと)と潔斎をして過ごします。
斎王3年目には、斎院に移り御禊(ごけいと読み、賀茂川で身を洗い清めること)を行った後に、賀茂神社や本院の祭祀に奉仕したのでした。
斎王は、基本的には天皇陛下が譲位もしくは崩御されたときに、退下するものとされていました。
皇女が少なかった理由もあり、必ずしも一代で退下したとは限らなかったとも、いわれているようです。
有智子内新王から続いた「斎王」は第35代の禮子(いやこ)内新王が最後となりました。
斎王は約400年の歴史に幕を下ろしたのです。
斎王代とは、現在その斎王に変わる女性なのです。
まとめ
斎王代は一般公募されず、京都ゆかりの神社やお寺や、文化人や実業家のご令嬢から選ばれていると言う事でしたね。
平安時代の斎王は役職を退いた後、ほとんどの女性が独身で生涯を終えたそうです。
当時は現在と違い寿命も短く、女性の寿命は平均27歳と言われているそうです。
女性としての華もあったであろう時代を神様に捧げることは、現代に生きる私たちにとってはなかなか想像しがたいことですね。
今年の葵祭に参加される方は、主役の斎王代の姿に、当時の斎王に想いを馳せてみてはいかがでしょうか。
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